津川雅彦が亡くなった原因は病気ではない!急性心不全って何?

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2018年8月4日に亡くなられた津川雅彦さん。

かつて大ブレイクした俳優の一人なだけに、悲しみの波紋が広がっています。

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津川雅彦さんとは

名前:津川 雅彦(ツガワ マサヒコ)

本名:加藤 雅彦(カトウ マサヒコ)

生年月日:1940年1月2日(2018年現在78歳)

血液型:O型

身長:171cm

出身地:京都府京都市中京区

デビュー作:「狂った果実」

▽津川雅彦さんの若かりし頃▽

(素敵〜〜!)

芸能一家に生まれた津川さん。

子役として数本の映画に出演していたそうですが、本格的な銀幕デビューは16歳のときで、1956年の日活映画『狂った果実』。

本人は新聞記者に憧れて早稲田大学高等学院に在学しており、「夏休みだし1本くらい出てもいいか」と軽い気持ちで出演した映画がヒット、たちまちスターダムに上り詰め、日活の看板役者となりました。

それから事務所の移籍や不倫騒動などで仕事が激減しますが、1972年から開始された必殺シリーズの悪役に起用され再び大ブレイク。

時代劇では三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)をすべて演じ、かつ、徳川家関係の人物を多く演じていますが、私の中で一番印象に残っているのは大河ドラマでの家康を熱演されている津川さんですね。

 

8月7日のYahoo!ニュースより

俳優の津川雅彦(本名加藤雅彦)さんが4日、亡くなっていたことが7日、分かった。78歳だった。今年4月27日、妻の朝丘雪路さん(享年82)が亡くなり、5月20日に会見し「彼女を残すよりはいい結果になった」と悼んだのが、最後の公の場となった。

愛妻を追うように、津川さんが逝った。津川さんは芸能一家に生まれ、子役として数本の映画に出演した後、1956年の映画「狂った果実」に出演し本格デビュー。一躍、日活のスターとなった。

「ミンボーの女」(92年)など故伊丹十三監督作品の常連として活躍。2006年には祖父の姓を冠した「マキノ雅彦」名義で「寝ずの番」を初監督。朝丘さんとは1973年に結婚。朝丘さんは5年前にアルツハイマー型認知症を発症し、3年前からは津川さんが施設から自宅に引き取り、献身的な介護を続けてきた。自身も昨年秋に肺炎を患い、その影響で5月の会見は鼻にチューブを入れて臨み「(体調は)大丈夫じゃない。こんな格好をして大丈夫と言ったらウソになる」と弱気な一面も見せていた。

奥様である朝丘さんが認知症を発症された2年後から津川さん自身が献身的な介護をなさっていたそうですが、当時76歳ですよね・・・

体にも負担がかかりますし、津川さんも体調を崩しがちになっていたのではないでしょうか。

そして2018年4月27日に奥様の朝丘さんが死去。

津川さんは5月20日の会見で「彼女を残すよりはいい結果になった」と悼んだそうですが、そんな風に言ってくれる旦那さんを持つことができた朝丘さんはきっと最後まで幸せだったはずです。

 

死因である急性心不全とは?

死亡原因としてよく目にする「心不全」は、病気の名前ではありません。

心不全とは、心臓に何らかの異常があり、心臓のポンプ機能が低下して、全身の臓器が必要とする血液を十分に送り出せなくなった状態。

心臓は無理して血液を送り出そうとしますが、こうした状態が続くと、心臓はやがて疲れて、バテてしまいます。

心不全はひとつの病気ではなく、心臓のさまざまな病気(心筋梗塞、弁膜症、心筋症など)や高血圧などにより負担がかかった状態が最終的に至る“症候群”なのです。

 

妻の朝丘雪路さんは2度目の結婚だった

津川さんの1度目のご結婚は女医さんだったようですね。

しかし、津川さんは結婚されてからも俳優業に専念されていたため、すれ違いから離婚に至ってしまったようです。

その後同じ業界で切磋琢磨しあえる素晴らしいパートナーである朝丘さんと結婚、芸能界屈指のおしどり夫婦となりました。

 

最後に

4月に朝丘さんがお亡くなりになられ、その後を追うように逝かれてしまった津川さん。

天国でお二人が一緒になれることを願うと同時に、ご冥福をお祈り申し上げます。

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