土谷正実はイケメンで頭がいい?親族や性格、妻が気になる!

エンタメ

オウム真理教の幹部、土谷正実さんの証言をもとに作られたドキュメンタリーが放送され話題になっています。

私自身詳しく知らないことばかりだったので調べてみました。

 

土谷正実とは?

土谷 正実(つちや まさみ、1965年1月6日 – 2018年7月6日)は元オウム真理教幹部。元死刑囚東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了、博士課程中退。化学(物理化学有機化学)を専攻。ホーリーネーム クシティガルバ。教団では第二厚生省大臣をつとめた。教団の化学者として化学兵器薬物を生成し、マスコミから化学班キャップと呼ばれた。ステージは菩師長であったが、地下鉄サリン事件直前に正悟師に昇格した。

殺害実行や謀議には関わっていないが、サリン生成方法を確立し、無差別大量殺人を可能にしたとして大量殺傷事件の共同正犯2011年死刑判決が下った

なぜ、オウム真理教に入ることになったのか?

1989年2月、同乗していた車が交通事故を起こして鞭打ち症を患い医師の勧めで水戸市内のヨーガ教室へ通いはじめる。同年4月22日、友人から麻原彰晃説法会に誘われた。説法は遅刻して聞き損ねたが、科学に詳しい村井秀夫に関心を抱いて、村井の勧めに従い同日世田谷道場を訪れた。「ここなら本格的なヨーガの修行ができる」と、宗教団体との認識を持たずに入信。深夜から開催された「超能力セミナー」に参加したところ、日頃徹夜して研究に励むなど意思の強さや体力には自信があったのに修行について行けず、か弱そうな女性信徒が楽々こなしているのを見て驚いた。蓮華座を組みダルドリー・シッディ(座禅ジャンプ)を体験した

教団の指導通りにヨーガを練習すると、中学生のときから患っていた椎間板ヘルニアが快癒したうえ神秘体験をするようになった。8月、水戸支部長岐部哲也の指導による激しい修行後、頭頂に肉髻ができた。図書館で調べたところ肉髻は仏教の経典にも記載があったので、それまでの「オウム=ヨーガ教室」という見方を改め、初めて麻原彰晃の著作を読んでみたところ、大いに感銘を受けた

この頃、オウム入信を電話で母親に報告。「オウムには、1日20時間も自分の好きな研究ができるところがある。がんもエイズも治る」と話した。母親は、2Lの塩水を鼻から入れて口から出したり、麻紐を鼻から口に通したりする修行をしていると聞き、心配で脱会するように説得したが叶わず「他人を絶対勧誘しないこと」「毎月実家に帰ること」「修士はとること」と約束を交わす

9月に入り岐部から出家を促されるが母親との縁を絶てずに断った。11月、坂本堤弁護士一家行方不明事件を知り、オウムの関与を疑ったが「国家権力の陰謀だ」と言われ、以降、1995年に逮捕されるまで長期に渡って信じ続ける。大学院仲間のプライドの高さや妬みに嫌悪感を感じる一方で『オウム水戸道場の人たちは優しく純情なので行くとホッとする』とのめり込んでいく

1990年4月、博士課程に進学したが、6月から研究室に通わなくなった。教団の雑誌「マハーヤーナ」掲載の信徒の宗教体験を読み、自分の体験は低レベルであると思って、より次元の高い宗教体験を求め修行に専念し始めた。両親に知らせずに引っ越し、実家に帰らなくなる。世田谷道場や水戸支部へ通い詰め、高額のオウム教材購入やセミナー参加費の支払いにより教団への借金が嵩む。「1日1食、睡眠3時間」の教義を実行しながら車を運転して交通事故を頻発し、その処理のためにアルバイト先の学習塾生徒の親からお金を借りるようになる。学習塾、家庭教師、警備会社、豆腐屋と朝から晩までアルバイトに明け暮れて得た50万円近いバイト代を全額教団に注ぎ込み、正常な思考能力を徐々に失って行った

1990年10月、シークレットヨーガ(個人面談)で初めて麻原と対面。「尊師がであり、であり、太陽である」と感じ、尊敬の対象は実父から麻原彰晃へとうつっていった1991年1月5日、富士山総本部道場での「狂気の集中修行」に参加。厳しい修行にバテてしまい、周りの出家信者が寝食の制限を受けながら成就を目指し修行している姿を見て「自分には厳しい出家生活は到底無理だ」と考えていた

結局出家してしまわれたみたいですけどね。。

読んでいるだけでも怖いですね。。

 

イケメンで頭良い学生時代

土谷さんは学生時代、明るく人気者だったそうです。

東京都立狛江高校でラグビー部に所属し、中心選手として活躍していました。

頭脳明晰で、化学では学年トップをとったこともあるとか。。

顔も割とイケメンで、彼女もいたとか。。

スポーツもできて、頭脳明晰、明るい性格、かっこいいとなったら彼女はできそうですよね^^

1984年筑波大学に入学し、憧れだった筑波大学のラグビー部へ入部します。

順風満帆の日々を送っていましたが、怪我をし、重症の肉離れを発症し退部することに。。

当時付き合っていた女性は土谷さんを懸命に支えたようです。。

しかし、彼女がほかの男と付き合っていることが発覚。。!

彼女に振られてしまいます。

土谷さんは彼女の実家に電話し続けたようで。。

気が付くと一時間ごとに電話をかけていたとか。。

それは夜中でもお構いなしだったらしく、彼女の母親に「あなたもしつこいわね!」と言われてしまいます。。

土谷さんは唯一心を許せていた女性がいなくなり、どんどんマイナス思考になっていったんですね。

 

親族や性格、遺骨を引き取った妻とは?

土谷さんは、子供のころからおとなしい性格だったそうです。

先ほども少し触れたとおり、中学高校と性格も明るく、両親に手を焼かせる息子ではなかったようです。

しかし!

高校生の時に土谷さんに彼女ができた時父親は、彼女との交際を反対しました。

ご両親もとても可愛がって育てていたんでしょうね。。

土谷正実の両親は裕福?

土谷さんは通った高校は公立、大学は国立とはいえ、一浪してますし、大学に進学してからは両親が生活費を仕送りしています。

しかも大学院まで進学していることを考えると、土谷さんの両親は十分な収入があったのではないでしょうか。

更に父親名義で車も与えていたようです。

婚約者とは誰?実は獄中結婚していた

東京拘置所に収監されていましたが、2009年12月に実は獄中結婚しています。

なので婚約者ではなく「妻」ですね。

彼女とは2006年から接見していた土谷さんの古い知り合いの女性だったそうです。

作家の大石圭と土谷さんは実家が隣同士の幼馴染で、妻が大石さんのファンだったことから妻を通じて交流が再開し、4年の間手紙のやりとりや面会を行っていたそうです。

大石さんに宛てた手紙には、

「化学兵器を作ったことを後悔」「麻原よりも先に死刑になりたい」などとつづられ、量子力学の本を写経して日々を過ごしていることを明かしていたそうです。

事が起こってから重大さに気づいたのでしょうか。。

遅すぎますね。。

死刑になった後、遺骨は妻が引き取ったみたいですね。。

 

まとめ

オウム真理教の土谷正実さんのことを詳しく知りませんでしたが、最後には後悔の言葉も出ているので、やっと自分を取り戻した感じでしょうか。。

もっと早く気づいてほしかったですね。。;;

 

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。